「新しい交通システム」の実現に向けて
 都市交通政策の新しい潮流 @
中川 大
富山大学副学長(都市政策担当)

 皆さん、こんにちは。富山大学の中川でございます。
 2017年3月まで京都大学に勤めていましたが、4月から富山大学に来ております。
 金沢には非常に近づきましたので、ぜひよろしくお願いします。
 直接、金沢の話に関わってきたわけではありませんので、外から見た感想を少し述べさせていただこうと思います。


金沢の都市交通の印象について


【スライド1】

これ(【スライド1】)は金沢市のホームページなどに載せられているものからの引用です。
この交通戦略の方向性は素晴らしいと思います。

  • 歩行者と公共交通を優先するまちづくり
  • まちなかを核にネットワークでつなぐまちづくり

 これは世界的な交通政策の潮流の中で基本となる方向です。

「新しい交通システム」について大変重要なのが、
「まちなかの活性化」
「集約型都市の形成」です。
「環境負荷の低減に寄与し、まちの魅力と拠点性を高め、人の交流を促す」。
 それから「定時性・速達性・輸送性」は交通ですから当然として、「景観に優れた輸送機関として都心軸の幹」になると書かれています。交通システムとは人や物を運ぶだけの役割を果たしているのではないということ、これが世界の都市交通政策が大きく変わってきた視点の一つです。
 これまでは交通の議論ばかりしていたので、結論はなかなか出なかった。
 ですので、金沢の計画は大変素晴らしいと思います。

 一方、課題等が述べられているのをスライドの下の部分にまとめました。
  • バス路線の再編
  • 導入には、市民の『公共交通の利用の拡大』が不可欠
  • 公共交通の専用空間を確保することが必要
  • 車線削減のための対策と、市民の合意形成

 こういうことがいかにも大問題であるかのように書かれていますが、少し議論の視点を広げたほうがいいと思います。もともと街の中の交通システムとは、いかに街を魅力的にするか、いかに活力を生み出すか、そして環境にも景観にも優れた街をいかにつくっていくか、そうしたことが目的であるわけです。





【スライド2】

 それから、「新しい交通システムに関する提言」(【スライド2】)も公表されているものです。
「導入基本ルート」は「金沢港−金沢駅−香林坊−野町駅の都心軸を基本としたルートが適当」と書かれていて、妥当なことと感じています。
 ただし、金沢港から金沢駅までと、金沢駅から香林坊を通って野町駅までとでは、交通システムとしての役割は相当違う物がありますので、一緒に議論するのは難しいと思います。
 まだ開発が進んでいない地域に先行的にいい交通システムを整備することによって将来のまちづくりにつなげていく役割を果たす交通もあれば、街の中が成熟して賑わっている所に新しい交通システムをつくって、街をより魅力的にして活力を生み出していく役割を担う交通もあります。

 金沢港−金沢駅間は前者で、これからの街の骨格となっていくような交通システムをつくっていく。そんな位置づけで考えるのがいいと思います。

 金沢駅−香林坊−野町駅、これは明らかに街の真ん中を走るわけですから、現在の街をさらに魅力的にし、そして将来に向かって持続可能で、拠点性、中心性のある都心をつくっていくという役割を担うと思います。それぞれが大きな役割を果たしますが、性格はかなり違うというふうに考えていくのがいいのではないかと思います。

 それから、「地上走行を基本としたシステムの導入が望ましい」。
 これも非常に妥当だと思います。
 ただ、具体的な導入機種についてはこれから検討していくとのことです。LRT(次世代型の路面電車)といわれるシステム、BRT(高度化されたバスシステム)と呼ばれるシステムが検討の対象になっていくと理解しております。



 一方、「導入に向けた環境整備」という部分は、また交通のことしか書かれていない印象を受けます。

 若干余談になりますが、ヨーロッパではライトレールが各地でつくられていて、我々もその多くの街を訪ねてきました。
 例えばフランスで、トラムが近々出来る街に行って、計画した人たちとディスカッションしたのですが、我々日本から行った人達は何を聞いたかというと、まずは

「需要はどれくらいですか」
「採算は取れるのでしょうか」
そして「自動車の交通量はどれだけなのでしょうか」

こうしたことを質問するのですが、向こうの人たちの説明にはそんなことはほとんど入ってこないのです。


 では何を話しているかというと、デザインや街の魅力の話ばかりといってもいいですね。
 つまり何のためにこの街にトラムを導入するかを考えると、街を魅力的にするためで、そのためにデザインが一番重要なことだから、強調して当たり前という風に言っています。
 ルートなども、日本の場合は需要と採算だけを考えて決めていったりしますが、彼らの決め方は、例えばキャセドラル(大聖堂)を背景にした道を通ることによって、トラムの写真を撮った時にキャセドラルが入るような道をわざわざ選んだりします。つまり、
  • 街を魅力的にする、そして街の魅力を外に向けて発信していく
  • そのために一番効果的なものは何なのか
を考えているわけです。


 でも、日本から行った人は、需要や採算の話ばかり聞いていて、向こうも質問には丁寧に答えてくれますが、だんだん、

「こんなにきれいで、いいものをつくろうとしているのに、なぜそんな質問ばかりするのか」

という感じになっていきます。
こういった新しい視点から交通を評価していることが、向こうで新しい交通システムがどんどん出来ている一つの大きな要素だと思います。


 金沢の提言では、「導入に向けた環境整備」の中に
  • 自動車交通への影響
  • 導入空間の確保
  • 市民意識の醸成
などが「解決すべき様々な課題」として挙がっていますが、本来ならば

  • 金沢という街をさらに魅力的にするには何をすればいいのか
 この点こそが最も重要な論点となるべきだと思います。





【スライド3】

 例えば、この提言が発表された時にいろいろなメディアで報道されたようです。
 当時の記事などを見せていただいて、その中から抜粋したものですが(【スライド3】)、
例えば
  • 有力視されているLRTなど地上を走る機種を導入すると、中心部ルートの4車線道路は2車線と狭くなり、『車やバスが混雑する』
と懸念の声が相次いだ。同じく、
  • 専用走行空間の新設で車線が減り、周辺の道路や細い路地に自動車が分散して交通渋滞が発生する
  • 幹線道路の車線を新交通システムに割り当てると、市民生活や経済活動に影響が及ぶことは避けられない

 こういう論調が議論の主流を占めているかのように思われます。
 道路の車線を削ると非常に大きな影響があるということを前提として、「どうしよう、どうしよう」という議論をしているように見えますが、議論の方向がだいぶ違うのではないかと思います。


 例えば京都の四条通は、4車線の道路を2車線にして、歩道を拡げました。
当初はやはり同じようにマスコミの皆さんなどから、「渋滞が激しくなってとんでもないことになるのではないか」と言われました。
 でも今は、歩道が広くなって気持ちよくなったねと、多くの人が思っています。
我々は最初からマスコミの方にも申し上げていました。

「4車線を2車線にしたら渋滞がより激しくなってけしからん」などというのは、30年、40年前の発想で、世界はもうそういう時代ではないよ、と。

 街の中の道路の使い方はどんどん変わってきているのに、昔と同じ発想で批判しているとすれば、それは勉強不足です。京都市は頭を切り換えて、4車線の道路よりも歩きやすい道路にするほうが京都にふさわしいと考えて2車線にしたのです。四条通は、京都の街なかで最も渋滞している道路であることをわかった上で実施しているのです。

 つまり、行政は頭を柔軟にして世界最先端の政策に向かって大きく転換しようとしたのに、マスコミのほうは30年前と同じことを言っている。こうしたことが起こっていたわけです。


 金沢の話については後で皆さんとディスカッションさせて頂きたいのですが、早く着いたので、バスに乗って、人々の動きがどうなっているか、少し見てきました。
 その結果、ちょっと心配な点に気づきました。

 また京都の例ですが、なぜ発想を転換したのか。
 京都には年間5,000万人の観光客が来ています。ならば街はさぞかし賑わっているだろうと周りからは見えていたかもしれませんが、ちょっと前までは河原町通や四条通などのメインストリートの歩行者数は下がっていく傾向にあったのです。
 紅葉の季節などは嵐山や清水の辺りはものすごく賑わいますが、そういう時ほどメインストリートのお客さんは少ない。なぜかというと、もともとメインストリートを支えているのは京都市民ですが、その市民が、混雑を嫌って街の中に出ていかないからです。

 観光客は嵐山や清水に行って、都心にはなかなか来てくれない。
 嵐山周辺へは3時間も4時間もかかる大渋滞でありながら、街の中は閑散としている。
 こういう状況が生じてきたのです。
 だからこそ、発想を変えねばならなかったのです。


 今日、金沢で私が乗ったのは観光客が多く乗る循環バスでした。
 金沢駅にはものすごくたくさんの人がいて、超満員でした。近江町に着きましたが、まだ時間が早いのか、降りる人はほとんどいませんでした。
 で、ちょっとまずいのではないかと思ったのが、60人位のお客さんのうち、香林坊で降りたのは6〜7人だったことです。多くの人がどこで降りたかというと、21世紀美術館でした。

 私はこのバスに乗っただけですから、市民の皆さんが通常乗られているバスでは香林坊、片町辺りでたくさん乗り降りされるのだろうと思いますが、観光客の行動は明らかにそうではなかったです。これはひと昔前の京都が辿ってきたのととても似ているなと感じました。
 ただ、お昼の時間でしたから、夕方以降には、21世紀美術館や兼六園に行っていた人たちが香林坊、片町に来てくれて、買い物や飲食をしてくれるのかもしれません。


 京都もそれを目指しました。
 清水寺や金閣寺は4時か4時半頃に終わるので、その後は街の中に来てくれて、京都の街を楽しんでいってほしいと。ですが、なかなかそうならなかった。
 一つの要因は、街の中の交通システムが賑わいを生み出すようなものではなかったということです。 こういったことから、京都は都市交通の発想を大きく転換していったのです。