リレーコラム*1

私と電車
   山本 忠彦


 私が泉中学一年生、晴天の秋、午後一番、音楽の授業中に無人の木工室から出火し、新品の高下駄を
玄関に取りに行く間もなく校舎が全焼してしまいました。隣の弥生小学校にも燃え移り、小学校も全焼です。
運動場の隅に全員避難しましたが、火災の輻射熱の何と熱かったことか。プールの水位は急速に下がり、
当時、消火のために市内の消防ポンプ車が総出で犀川から吸水し消火活動が行われました。
私の通信簿はその期間、空白です。

 一学年13組のマンモス校の私たちは、市内の各中学に分散して通学することになりました。
 私の12組は何と一番遠い鳴和中学校になりました。通学は、毎朝市電の野町駅からの臨時電車で、
片町、香林坊、武蔵、橋場を通り鳴和まで、帰りは兼六園経由など自由に、もちろん電車で通いました。
新しいレールの敷設や新型の車両で静かな電車も登場しましたが、緑色の箱形チンチン電車のガタゴト音と
その揺れの心地良さは、今も懐かしい想いです。

 秋から冬、冬から春へと、二年生の始まる新学期まで存分に金沢市内を楽しんでまいりました。








2015.10.23 掲載